3月コラム

『環境と繋がり』

 

 春らしい日が訪れ、心も体も柔らかくなりつつあると感じる今日この頃です。

 

 さて、突然ですが『はちみつ』と言えば何を思い浮かべますか?

私の場合は子どもの頃、友達と石垣の中にできたハチの巣からハチミツを取ったことです。

 

ハチには申し訳ないイタズラでしたが、子どもながらに「刺されると危ないからハチの巣駆除」という理由でやっていました。

 

水鉄砲で水をかけてはダッシュで逃げて、また近づいて水をかける。

小5の頃の思い出です。

 

『刺されたら痛い』という知識はあったので、とにかく本気。


全神経をとがらせ、近づいては「あっぶねー!」と言いながら逃げる。

アドレナリンが出るのを感じ、熱中していた記憶があります。

 

そんないたずらもエスカレートしていき、水鉄砲から木の棒に。

棒を石垣の穴(ハチの巣)に突っ込んでみたところ、ハチミツっぽい液体と花粉のような団子がたくさんついてきました。

 

その頃の知識なので

ハチ、ハチの巣=ハチミツ

 

確かめるべく、恐るおそる舐めてみると、あまい!

「ハチミツや!ハチミツや!」となり、近所の友達に「ハチミツ取れるで!」と声をかけて回る。

 

半信半疑に集まった友達に、「いくで、見ててや?!」と、棒を突っ込むと、花粉の混じった見た目の良くないハチミツが付いてきます。


「それ大丈夫なん?」と言う友達に「ほら、いけるで」と舐めて見せ、

「おおー!あまい!」と生のハチミツを共有していました。

 

ただ、その後、ハチに刺され、痛い思いをしたのは言うまでもありません…
 

 

 なぜ急にハチミツの話になったのか?

私の先輩がやってる 『ふくおか食べる通信』 という、食べ物を作る人(生産者)を特集した情報誌と、その人達が作った食べ物が定期的に届く、食べ物付きの情報誌があり、今月号の特集が『ハチミツ』だったからです。

 

そんな情報誌の冒頭に

「もし、ミツバチが存在しなければ今の人類の繁栄はなかったかもしれない。」という一文がありました。

 

簡単にまとめると

穀物や野菜、果物などが実るには必ず受粉が必要で、花粉が風に乗って運ばれる場合もあるが、多くはミツバチなどが媒介となって受粉に至る。

世界の食料の9割を占める100種類の作物種のうち7割はハチが受粉を媒介しているのだそうです。

 

 ミツバチは自分たちが生きていくのに必要だからハチミツや花粉を集める。その中で意図せず、自然に対して役割(受粉)を果たしている。

 

つまり、自分達に必要なことをしていると、自然に周りにも影響を与え、そのおかげで周りが育ち、また自分達にも利益として返ってくる。

 

まさに、自然の循環。

 

また、ミツバチは自分達に必要な量の蜜しか集めないそうです。

 

私たち人間はどうなんだろう?
というか、自分はどうなんだろう?

 

そんな問いが浮かんできました。

ついつい、「もっともっと!」となり、食べ物だけでなく、物やお金、時間や資源を必要な分以上に集めていたり、使っていたりするかもしれません。

 

また、必要な量とは?も考えました。

 

食べ物で言うと、当分の間、家族が困らない量。

と言えるかもしれません。

「明日から、食料を買えない」となると、みんな買いだめをする。

 

以前起きた、マスクやトイレットペーパーの買いだめも、「買えなくなるかもしれない」「なくなるかもしれない」という不安が原因。

 

ミツバチが必要な分だけしか集めないのは、いつでも集められる環境があって、集めようと思えば集められるからではないか。

 

私たちも 「いつでも○○できる」環境があれば、安心して過ごせるのだと感じました。

 

そして、そんな環境はやっぱり、『人との繋がり』の中にあるんだと思います。

 

家族や友人、を含め人との繋がり。

パッと「あの人」と顔が浮かぶ繋がり。

 

それらが多ければ多いほど、自分達ではできないことができるようになり、困った時に助けてもらえたりする。

 

そんな環境が新しい循環をつくるんだと思います。

 

世界情勢も、コロナもこんな時代だからこそ

人とのつながりを大切にしていきたいですね。

どうか、平和でありますように。

 

 

舟木将人

 

前月コラム『不機嫌の正体』