2月コラム
『当たり前と感謝』
毎月書いているコラムも気付けば72回目。
自分の想いや考えを発信するのは怖いと思っていたところから、「やろう」と決心してから6年が経ったという事です。
発信が怖いと思っていた理由は、批判されたり、悪い印象を与えたら嫌だったから。
そんな考えから、「やろう」と思えるようになったキッカケは
「たとえ99人に笑われても、1人良いね!と言ってくれるな仲間が見つかる可能性があるならやってみたら?」とアドバイスをもらったからです。
また「自分が思ってる以上に人は気にしていない」とも言われました。
6年間続けてみて、本当にそうだなと感じています。
「毎月読んでるよ」と言ってくれたり、「共感した」と感想をくれる方がいて、「書いてよかった」と思うことが何度もありました。
何より、発信することで、『素の自分』でいられるようになった気がします。
「周りに良く思われたい」そんな思いもないわけではありませんが、仕事中の自分と普段の自分との境目が無くなったように感じています。
自分らしくいられるようになった。
それが発信する中で得た大きな気付きかもしれません。
いつもお読みいただきありがとうございます。
さて、2024年もあっという間に1ケ月が過ぎていきました。
実は、新年早々、人生初の財布紛失事件を起こしてしまいました。釣りに行った際、うっかりどこかで落としてしまったようです。
カード類や免許証も入っていたので、すぐに警察署に届け出に行きました。
世間は三連休でしたが、警察署に行くと、30代後半ぐらいの男性警察官が紛失届の対応をしてくれました。
本当なら、家族と過ごしたり、学校が休みの子ども達と楽しく過ごしたい気持ちもあるだろうけど、世間のために、こうやって働いてくれてるんだな。
そう思った瞬間、丁寧に話そうという気持ちが湧いてきました。
こちらが、その様な感謝の気持ちを持って対応すると、相手も明らかに最初に比べて丁寧な態度で接してくれました。
もし、「仕事なんだから、対応するのが当たり前」そう思っていたら、お互い気持ちよく過ごすことはできなかったと思います。
感謝の対義語は「当たり前」
どこかのお店に行った際、お金を払えばサービスを受けられるのが「当たり前」だと思ってしまいがち。
だけど、お金を払っているからサービスが受けられるのではなくて、お店があって、働いてくれる人がいるから、お金を払えばサービスが受けられるのです。
以前の私の長期休みは無人島を含む『離島』に行き1週間~10日間キャンプをして過ごしていました。
想像に難くないですが、真冬の寒さは特に辛い。
極寒の中、食事の準備に一日の大半の時間を使います。
流木を拾ってきて、火を起こす。
焚火の火を調整しながら、飯盒を使ってご飯を炊く。
これだけで、数時間です。
また、食事も定食のように主菜、副菜、汁物のようにそろって食べられることはまずありません。
作って10分もすれば、冷え冷えです。
おかずが温かければ、ご飯は冷えている。もしくはその逆。
また、テントで寝ている時以外は常に冷たい風が吹いていて、風に当たっています。
そんな過酷な環境から、自宅に戻ってくると、家の中では風が吹いていないことに気が付きます。
それだけで、とてもありがたい。
さらに、炊飯器のスイッチを押せば、数十分でご飯が上手に焚ける。焦げたり、芯が残ってるなんてこともない。
蛇口をひねれば、丁度よい温度のお湯が出る。
ご飯を食べに行けば数分で、全てが温かい状態で、揃って提供してくれる。
島から帰ってきた時は、何もかもが「ありがたい」と感じるのですが、数日すると、いつの間にか、当たり前になっている。
また、普段使えてる電気が使えなくなったら?
きっと不満を感じ、「早く直してほしい」と思う。
ない所からある所へ来ると、「ありがたい」と感じ、ある所からない所へ来ると「不満」を感じる。
以前、大雨と雷の日に停電したエリアを電力会社の人たちが、一生懸命復旧作業に当たっているのを見たことがありました。
停電が起こるのは、雷や台風など普通ではない時。
自分の家のことだけを考えると、停電に不満を感じるかもしれませんが、その背後ではすぐに駆け付けて復旧作業をしてくれる人がいる。
そのおかげで当たり前のように快適に過ごせるのだと思います。
先月のコラムでも書きましたが、それぞれがそれぞれの立場で働いてくれているおかげで、社会や自分たちの生活は成り立っている。
「私たちひとり一人が世界をつくってる」
改めてそう感じました。
視野を広く持ち、『当たり前』でいられることに『感謝』しながら過ごしていきたいですね。
感謝の気持ちは相手に伝わり、相手の態度を変える。
そんなことを感じた最近でした。
舟木将人
前月コラム『世界は自分たちがつくってる』